ふだんは嫌いな人なんていないみたいな顔をして、
それなりに他人ともうまく折り合いをつけて生きているとは思う。
特別に仲良くなる人もそんなにはいないけれど。
でも家でこぼす愚痴は、
仕事や日々の作業に関するものよりもむしろ、
周囲の人間に関するものが圧倒的に多い。
別に彼らのことが嫌いなわけではなく、
ただ発言だとか行動が嫌なだけなんだけれど、
愚痴をこぼされた方からすると、
その人が嫌いだからそういう愚痴をこぼすんだと思うらしい。
別にその人が嫌いなわけじゃないんだよ。
ただ苦手ではあるかもしれないけれど。
そう言ってみて、ふと思った。
生理的に受け付けない人はいるかもしれない。
そしてその人のせいで人生が変わったことも確かにあると。
学科選択のときに本当は行きたい学科があったのに、
その人がその学科に行くんだと吹聴していたために
自分は違う学科を選んだこと。
(行きたい学科に行っていたら、今はこの仕事はしていないだろう)
その人と毎日顔を合わせるのが嫌で嫌でしょうがなくなって、
会社に行けなくなったこと。
(立ち直りましたけど)
その人と同じ建物に住んでいることですら嫌で、
引っ越しを本気で考えたこと。
(今も計画中)
なんなんだろう。生理的に受け付けない人って。
もしかするとそれが嫌いな人なのかもしれない。
嫌いな人は作らない方が人生楽だと思うんだけど、
そう簡単にはいかないってことなんだろう。
生理的に受け付けない人はどうしたって好きにはなれないから。
2015年3月14日土曜日
2015年2月10日火曜日
期待しないという行き方
これまで多くの悲しみや怒りを経験してきた。
この二つの感情は精神的につらい。
でも、年を経るうちに少しずつそれらを経験する頻度が減ってきた。
うまくやり過ごすようになったのか、
それともそれらが意識にのぼらないようになったのか。
考えてみると、
いろんなことに期待しないようになってきたような気がする。
家族でも友達でも仕事でも(病気でも) 、
こうあってほしいと思わなくなってきた。
あるがままの状態を受け入れるようになってきた。
もしかすると、いい方向性ではないのかもしれない。
向上心とかそういうものを捨て去ることなのかもしれないし。
でもその反面、悲しみや怒りからは遠くなる。
そもそもなんの期待もしていないのだから、
相手がどういう行動を取っても、どうでもよくなる。
ちょっと嘘を書いたかもしれない。
上で書いたことは、
自分が相手に何か働きかけて、相手が応答してきたときのことだ。
自分が何も仕掛けていないのに相手から攻撃を仕掛けてきたら、
やっぱり悲しいし怒りの感情もわいてくる。
期待しないことで悲しみや怒りと別れられるというのは、
場合によりけりなのかもしれない。
ただ、私はそういう行き方をすることが多くなってきた。
ただそれだけのこと。
あくまで行き方であって、生き方ではない。
この二つの感情は精神的につらい。
でも、年を経るうちに少しずつそれらを経験する頻度が減ってきた。
うまくやり過ごすようになったのか、
それともそれらが意識にのぼらないようになったのか。
考えてみると、
いろんなことに期待しないようになってきたような気がする。
家族でも友達でも仕事でも(病気でも) 、
こうあってほしいと思わなくなってきた。
あるがままの状態を受け入れるようになってきた。
もしかすると、いい方向性ではないのかもしれない。
向上心とかそういうものを捨て去ることなのかもしれないし。
でもその反面、悲しみや怒りからは遠くなる。
そもそもなんの期待もしていないのだから、
相手がどういう行動を取っても、どうでもよくなる。
ちょっと嘘を書いたかもしれない。
上で書いたことは、
自分が相手に何か働きかけて、相手が応答してきたときのことだ。
自分が何も仕掛けていないのに相手から攻撃を仕掛けてきたら、
やっぱり悲しいし怒りの感情もわいてくる。
期待しないことで悲しみや怒りと別れられるというのは、
場合によりけりなのかもしれない。
ただ、私はそういう行き方をすることが多くなってきた。
ただそれだけのこと。
あくまで行き方であって、生き方ではない。
2015年1月25日日曜日
15444文字
フォントを作ろうかな、と軽い気持ちで思っていた。
第1水準文字とか第2水準文字とか色々とあるけれど、
どうせなら文字セットはAdobeで設定した規格にしよう。
ふつうに使用する文字はカヴァーしたいな。
商用利用にも堪えうる文字数にしたいな。
Adobe-Japan 1-3 モリサワでのStd製品に対応、9,354文字
Adobe-Japan 1-4 モリサワでのPro製品に対応、15,444文字
じゃあ、 Adobe-Japan 1-4かな。
15,444文字。
遠い道のり……
第1水準文字とか第2水準文字とか色々とあるけれど、
どうせなら文字セットはAdobeで設定した規格にしよう。
ふつうに使用する文字はカヴァーしたいな。
商用利用にも堪えうる文字数にしたいな。
Adobe-Japan 1-3 モリサワでのStd製品に対応、9,354文字
Adobe-Japan 1-4 モリサワでのPro製品に対応、15,444文字
じゃあ、 Adobe-Japan 1-4かな。
15,444文字。
遠い道のり……
2015年1月21日水曜日
目標
目標なんてばからしいと思う。
目標管理なんてくそ食らえだ。
他人に目標を設定しろと言われるといやになる。
でもそんな僕はいつも目標を立てている。
いつも見えない先を見てそれに向かって歩いている。
ただ、人にそれを強制されたくないだけ。
人に言われて行動するのがいやなだけ。
自由に生きたい。
仕事はそれを奪う。
目標管理なんてくそ食らえだ。
他人に目標を設定しろと言われるといやになる。
でもそんな僕はいつも目標を立てている。
いつも見えない先を見てそれに向かって歩いている。
ただ、人にそれを強制されたくないだけ。
人に言われて行動するのがいやなだけ。
自由に生きたい。
仕事はそれを奪う。
2015年1月4日日曜日
Fontographer 5.2をWindows 8.1で使うとき
Fontographerというフォントを作るソフトがある。
そのバージョン5.2をWindows 8.1にインストールした。
解説書を読みながら操作していると、
そのとおりに動作しないところがいくつかあった。
解説書やマニュアルはMac用しかないので、
Windowsでは違う方法なのかと思って色々やってみたが、
うまくいったりいかなかったりする。
調べてみると、Windows 8.1で使うためには、
互換モードで立ち上げねばならないことがわかった。
その方法は以下の通り。
ちなみに1度行うだけでいい。
ネタ元はこちら
そのバージョン5.2をWindows 8.1にインストールした。
解説書を読みながら操作していると、
そのとおりに動作しないところがいくつかあった。
解説書やマニュアルはMac用しかないので、
Windowsでは違う方法なのかと思って色々やってみたが、
うまくいったりいかなかったりする。
調べてみると、Windows 8.1で使うためには、
互換モードで立ち上げねばならないことがわかった。
その方法は以下の通り。
ちなみに1度行うだけでいい。
- プログラム本体のアイコンを右クリックして、「プロパティ」を選択
- 「互換性」タブを開く
- 「互換モード」の「互換モードでこのプログラムを実行する」にチェックを入れる
- 「Windows XP (Service Pack 3)」を選択する
- 「OK」
ネタ元はこちら
2014年10月22日水曜日
2014年10月21日火曜日
孤独に堪えられなくて
毎日写真を投稿して日記みたいにできるアプリがある。
昨年の11月からやっていたのだが、昨日アカウントを解除した。
すべての投稿写真は闇に葬られた。
手書きの日記はつけている。
途中何度か中断はしたけれど、小学生のときから書いている。
人に見られても全然構わないけれど、基本的に自分以外は読まない。
件のアプリは他人に公開されている。
これがいけない。
人の見る目が気になる。
記録によると、この数週間ボクの投稿を見た人はいない。
だから、
人に見られても全然構わないけれど、基本的に自分以外は見ない、
というスタンスが自動的に立てられたといっていい。
でもこれが堪えられなかった。
ものすごい孤独感に襲われて、
日増しにその感覚は強くなっていった。
手書きの日記とネット上の日記のどこに違いがあるのか。
それはたぶん
人に見られないことが前提になっているか、
人に見られることが前提になっているかの違いなんだろう。
その違いのせいで、
同じ状況であっても
手書きの日記だったら大丈夫だったものが
ネットの日記では堪えられなかった。
ボクは弱すぎるのかもしれない。
でもひとまず今は、
自分を変えるつもりはない。
自分を変えようとする気力もない。
ただ、孤独感から早く逃げ出したかった。
昨年の11月からやっていたのだが、昨日アカウントを解除した。
すべての投稿写真は闇に葬られた。
手書きの日記はつけている。
途中何度か中断はしたけれど、小学生のときから書いている。
人に見られても全然構わないけれど、基本的に自分以外は読まない。
件のアプリは他人に公開されている。
これがいけない。
人の見る目が気になる。
記録によると、この数週間ボクの投稿を見た人はいない。
だから、
人に見られても全然構わないけれど、基本的に自分以外は見ない、
というスタンスが自動的に立てられたといっていい。
でもこれが堪えられなかった。
ものすごい孤独感に襲われて、
日増しにその感覚は強くなっていった。
手書きの日記とネット上の日記のどこに違いがあるのか。
それはたぶん
人に見られないことが前提になっているか、
人に見られることが前提になっているかの違いなんだろう。
その違いのせいで、
同じ状況であっても
手書きの日記だったら大丈夫だったものが
ネットの日記では堪えられなかった。
ボクは弱すぎるのかもしれない。
でもひとまず今は、
自分を変えるつもりはない。
自分を変えようとする気力もない。
ただ、孤独感から早く逃げ出したかった。
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