2016年1月20日水曜日

永遠の偽善

偽善や偽善的なことに対してものすごく批判的になる人がいるけれど、
それらが必ずしも悪いことだとは思わない。

その行為ひとつを取ったら、
偽善であろうとなかろうと善は善だ。

私が人に優しくするのは、
(それは習慣になっているとはいえ)
その方が自分にとって得だからという
打算的な偽善的理由によるものであることはおそらく間違いがない。

でもその偽善を死ぬ直前まで一生貫けるのだとしたら、
それは本当のやさしさと言っていいのではないか。

貫けないかもしれないけどね。

本音と建前

あまり本音は出さない。

本音を出すとろくなことがないから。
本音は、自慢であり嫉妬であり羨望であり絶望であり…

でも建前だけで生きていると急に爆発することがあるんですよね。
私はそれでふつうの社会生活を送れなくなったことがある。

だからガス抜きは必要です。

ただ、ネット上の言論はガス抜きだらけで読むに堪えなくなることがある。
社会生活をうまく営んでいくためには、潤滑油としての建前が絶対に必要だと思う。