2018年6月13日水曜日

ぼくたちの失敗

あの頃のぼくたちはうまくいっていたよネ
いや、うまくいっていた気がしてただけカナ

いつの間にこんなになってしまったんだろう
気がついたら君はぼくの知らない世界に行っていた

ぼくたちは何かに失敗してしまったんだネ
いや、違う
きっと失敗したのはぼくだけサ

そんな風にいうと、君のほうが気にしちゃうのカナ
まあ、ぼくの声は君には届かないんだろうケド



全然こんな歌詞ではないけれど
そしてぼくも君もきっと友人同士だろうけれど
なのにどうしてあのドラマに使われたのかもわからないけれど

森田童子さんの『ぼくたちの失敗』は大好きな曲でした
今でもよく頭の中をメロディーが流れてきます

この4月にお亡くなりになっていたということ
お悔やみ申し上げます

2018年2月12日月曜日

答えのない問題か

学生のうちは答えのある問題に取り組むが、
働いてからは答えのない問題に取り組むことになる

なんてしたり顔で話している人をたまに見かけるけれど、
本当にそうだろうか

確かに学生のうちは、論文などを除くと
答えのある問題に取り組んでいると言えるのかもしれない

でも働いてからは?

個人的には、
働いてから取り組む問題に対する答えはないわけではないと思っている

働いてから取り組む問題には無限の答えが潜んでいる、と言いたい
私たちはそのうちのどれかを選択するだけだ

もちろんその答えには
いいものもあれば、悪いものもある

どの答えが最適かどうかは、その時と場合による

その選んだ答えがその会社の方針に合っていれば評価されるだろうし、
合っていなければ評価されない

同じ答えでも、違う場所では評価されることもあるだろう

それだけのことだ

ただ、最後にこれだけは注意しなければならない

学生の時のように、唯一絶対の答えがこの世に存在すると考えてはならない
よりよい答えを見つけるべく、対話と努力を重ねていかなければならない

それが社会に出るということだと私は思う

2018年1月20日土曜日

不思議な届け物

2ヶ月ほど前に、クロネコヤマトからショッキングピンクの軍手が届いた
封筒にはクロネコポイント交換商品だと書いてある
頼んだ覚えがない
どうなってるんだろうね、と家族で話した

2日ほど前に、クロネコヤマトからショッキンググリーンの軍手が届いた
封筒にはクロネコポイント交換商品だと書いてある
頼んだ覚えがない

?????

念のため、2週間保管しておくことにした

2018年1月7日日曜日

「夢」には2つの意味がある

夜寝ているときに見る夢
将来の夢

「dream」にも2つの意味がある

夜寝ているときに見る夢
将来の夢

同じじゃないか
違う言語なのになぜ?

ずっとそういう疑問を持ち続けて生きてきたわけだけれど、
ネットをいろいろと調べてみるとこういうことらしい

「夢」の本来の意味は
「夜寝ているときに見る夢」のことだった

それに対して「将来の夢」という意味が加わったのは近代以降のことで、
おそらくそれは「dream」の訳後として「夢」を充てたからなのだろう

ところで、
私は朝起きたときに見ていた夢を必ず覚えている
夢を見ていないで目が覚めることはほとんど無い

実はその夢の内容に最近悩まされている

本当はそんなことをこの記事で書きたかったんだけど、
「夢」の意味について書いているうちに紙幅が尽きた

だから、それはまたの機会に

2017年11月7日火曜日

やさしさ

「やさしさ」ってなんだろうと、ときに思う。

私は「意地悪だ」といわれるよりは「やさしい」といわれることの方が多いが、
それは私が「やさしい」からだというわけではないと思っている。

たぶん(自分のことは意外とわからないものだ)、(私は打たれ弱いので、)
人にやさしくしてもらうために、
人に対してもやさしい「ふるまい」をしているだけなんだと思っている。

「情けは人のためならず」という言葉が好きだ。
これを、情けをすることは人のためにならないからするべきでない、
と勘違いしている人がいるけれども、
本来は、情けをすることは回り回って自分に返ってくることなのだから、
人のためにするものではなくて、自分のためにすることなんだよ、という意味だ。

たぶん私はそれを「やさしさ」に対しても実践している。

こう書くと、
お前はなんて打算的な人間なんだ、
そんな「やさしさ」なら、してもらわなくてもいい、
という人が必ず出てくる。

でもそうだろうか。
「やさしさ」が打算的な考えからきているのか、
心からの本来の「やさしさ」からきているのか、
どうやったらわかるのだろう。

私は上で、自分の「やさしさ」は打算的なものなのかもしれないということを書いた。
でも本当にそれが打算的なものなのか、私にも誰にもわからない。
逆に、自分の「やさしさ」は心からのものだと信じている人がいるとしても、
実はそれは打算的なものなのかもしれない。

表面的な「やさしさ」から、
それが本来のものなのか打算的なものなのかはわからないのだ。

もちろん、詐欺を働くために「やさしく」接してくる人はいるだろう。
それも確かに打算的なものであることはいうまでもないが、
私がここで述べているのは、そういう次元の話ではない。

「やさしさ」の目的が「やさしさ」であることと、
「やさしさ」の目的が「詐欺」であることとは
まったく違うことだ。

結局言いたいことはこういうことだ。

たとえ打算的なものであれ、
一生その「やさしさ」を貫けるのならば、
それはその人が「やさしい」ということなのではないだろうか。
もしそうであれば、
その人の「やさしさ」を素直に受け止めてもいいのではないか。

「やさしさ」は形から入ってもいいと思うのだ。

2017年10月19日木曜日

初代iPad mini

2012年に出た初代iPad miniを所有しているが、
最近やたらとアプリが落ちまくるし、
アプリやOSが更新されなくなったと思っていたら、
実はもう2016年の秋にサポートが切れていた。

そういえば今はiOS11の時代なのに、
このiPad miniはiOS9のままだ。

主に電子書籍リーダーとしてしか使わなくなっていたけれど、
ちょっとこの先どうするか考えねばならないな。

2017年10月15日日曜日

ひねもす作業中

平日休日を問わず、
仕事、家庭、趣味を問わず、
いつも作業に追われているような気がする。

作業と仕事は違う、
っていうことを先日はあちゅうさんがおっしゃっていたのを
目にした気がするけれど、
ふつうの平社員にとっては仕事の中心はやっぱり作業です。
まあ、そういったところに日本の生産性の低さが表れているのかもしれないけれど。

趣味で絵を描いたり本を読んだりもしていますが、
私にとってはそれも作業です。
描きたい題材を決めたり読みたい本を決めたりするのは
作業ではないのかもしれない。
でもそんなの、ほんのわずかな時間に過ぎない。
後はひたすら作業、作業の連続。

1%のクリエイティブな時間と、99%の作業。

追われているはずだ。