ちょっと前にパソコンの中身を入れ替えた。
PCケース:そのまま
もう10年以上使ってる。
PC電源:そのまま
600Wだったかな、650Wだったかな。確認するのがめんどくさい。
マザーボード:ASUS P8Z68-V PRO/GEN3
あーっ、IDEコネクタがない。PS/2がない。FDDがない。
CPU:Intel CORE i7-2600K
ひと世代前のSandy Bridgeです。今はIvy Bridgeですよね。GPUが付いているのがいい。
HDD:そのまま
バルク品を二つ。
メモリ:DDR3-1333を8GB
安いところに落ち着きました。
Blu-rayドライブ:BUFFALO BR3D-12FBS-BK
本当は買う気なかったんだけど、今までのDVDがIDE接続だったので。
モニタ:そのまま
EIZOのFlexScanなら替える必要ないよね。
キーボード:Logicool Wireless Keyboard
今までのがPS/2で、つなげなかった。
マウス:そのまま
よかったあ。USB接続のワイヤレスにしておいて。
OS:Windows7 Professional 64bit
6月2日以降に買っていたら、1200円でWindows 8 Proにアップグレードできるなんて知らなかった。運が悪い。最後までMacにするかWinにするかで悩んでた。結局Winを採ったから上記の構成にしたんだけど。
2012年6月6日水曜日
2012年5月25日金曜日
『Saori』木村 沙織
不覚にもファンになってしまった。もう10年も前から活躍している人なので、いまさら何を、って感じではあるんだけど。
いいな、と思っていろいろサーフィンしていたら、こんな本を出していることを知った。
それで本屋で覗いてみたら、あまりにもミーハーな感じだったのでその場では買わず。
でも気になって日を置いてまた本屋に行くも、やっぱり私の買う本じゃない、と思い、買わず。
でもでもやっぱりすごく気になるのでまた違う日に本屋に行って、結局購入した。
どう見ても私の本棚に置くと浮いてしまう本だけど、たまには壊れてみるのもいいのかな、と思う。
ついでながら、同じジャンルの人で『めぐみ』という本を書いている人も好きです。
いいな、と思っていろいろサーフィンしていたら、こんな本を出していることを知った。
それで本屋で覗いてみたら、あまりにもミーハーな感じだったのでその場では買わず。
でも気になって日を置いてまた本屋に行くも、やっぱり私の買う本じゃない、と思い、買わず。
でもでもやっぱりすごく気になるのでまた違う日に本屋に行って、結局購入した。
どう見ても私の本棚に置くと浮いてしまう本だけど、たまには壊れてみるのもいいのかな、と思う。
ついでながら、同じジャンルの人で『めぐみ』という本を書いている人も好きです。
2012年5月13日日曜日
2012年4月20日金曜日
初めて見ました!
「初めて見ました!」
こう話しかけられたのは2度目である。よほど珍しい絵柄なのだろう。オニオオハシが右側に描かれていて、バックにはコーヒーベルトの地図やコーヒーチェリーの説明図などがデザインされている。これを購入したのがどこだったのか、もう覚えていない。金沢か沖縄か、たぶん旅先だったような気がする。裏面には「2003」と書かれているから、もう10年近くも経つのだろう。それ以来いつも財布に入れて持ち歩いている。
「質感も独特でいいです!」
それは単に表面を覆うビニールが剥がれたからでは?
スタバの店員と店先で。
こう話しかけられたのは2度目である。よほど珍しい絵柄なのだろう。オニオオハシが右側に描かれていて、バックにはコーヒーベルトの地図やコーヒーチェリーの説明図などがデザインされている。これを購入したのがどこだったのか、もう覚えていない。金沢か沖縄か、たぶん旅先だったような気がする。裏面には「2003」と書かれているから、もう10年近くも経つのだろう。それ以来いつも財布に入れて持ち歩いている。
「質感も独特でいいです!」
それは単に表面を覆うビニールが剥がれたからでは?
スタバの店員と店先で。
2012年4月3日火曜日
「子ども」という表記
いつの頃からか覚えていないが、子供のことを「子ども」と書く例をよく見かけるようになった。私が小さいときは「子供」と習ったので、そう昔のことではないと思う。
子供は親の付属物(供え物)ではない。「子供」という表記は差別用語だ。だから「子ども」と書くべきだ。
こんな言い分らしい。みんなが「子ども」と書くから、何となく自分もそう書いている、という無邪気な人は別にして。
少なくとも五つの点でおかしな話だと思う。
まず、「供」は「ども」に当て字をしただけの話で、供え物の意味はない。子を複数にしただけだ。「共」も同じですね。
二つ目。供え物ということは差別表現だろうか。勝手に差別表現だと言っているだけではないだろうか。
三つ目。差別表現は使ってはいけない、という意味がわからない。使わなければ差別がなくなるというのだろうか。どんな言葉であろうと、言葉狩りをすることには賛成できない。
四つ目。そもそもある言葉が差別表現だと認定できるのかどうか。差別は文脈で決まるのではないか。区別を差別と言い換えると、どんな言葉も差別表現にでっち上げることができないか。
五つ目。熟語をひらがなと漢字の交ぜ書きにするのは美しくない。はじめて「ら致」という言葉を新聞で見たとき、意味がわからなかった。
だから私は「こども」のことを「子供」と書く。「供」って小学校で習う漢字だよ。「子ども」と書くのは勝手だけれど、それを押しつけないで欲しい。思想統制を受けている戦中みたいで気持ちが悪い。
子供は親の付属物(供え物)ではない。「子供」という表記は差別用語だ。だから「子ども」と書くべきだ。
こんな言い分らしい。みんなが「子ども」と書くから、何となく自分もそう書いている、という無邪気な人は別にして。
少なくとも五つの点でおかしな話だと思う。
まず、「供」は「ども」に当て字をしただけの話で、供え物の意味はない。子を複数にしただけだ。「共」も同じですね。
二つ目。供え物ということは差別表現だろうか。勝手に差別表現だと言っているだけではないだろうか。
三つ目。差別表現は使ってはいけない、という意味がわからない。使わなければ差別がなくなるというのだろうか。どんな言葉であろうと、言葉狩りをすることには賛成できない。
四つ目。そもそもある言葉が差別表現だと認定できるのかどうか。差別は文脈で決まるのではないか。区別を差別と言い換えると、どんな言葉も差別表現にでっち上げることができないか。
五つ目。熟語をひらがなと漢字の交ぜ書きにするのは美しくない。はじめて「ら致」という言葉を新聞で見たとき、意味がわからなかった。
だから私は「こども」のことを「子供」と書く。「供」って小学校で習う漢字だよ。「子ども」と書くのは勝手だけれど、それを押しつけないで欲しい。思想統制を受けている戦中みたいで気持ちが悪い。
2012年3月22日木曜日
無駄のない世界
世の中が無駄探しに躍起になっている。
血眼開いて無駄を削減しようとしている。
この世界から無駄をなくそうとしている。
でも、
無駄は必要だと思う。
必要悪なんじゃなくて、
プラスの意味で本当に必要だと思う。
無駄は社会の潤滑油。
無駄から生まれる創造。
無駄を削ぎ落とした世界なんて真っ平ごめんだ。
血眼開いて無駄を削減しようとしている。
この世界から無駄をなくそうとしている。
でも、
無駄は必要だと思う。
必要悪なんじゃなくて、
プラスの意味で本当に必要だと思う。
無駄は社会の潤滑油。
無駄から生まれる創造。
無駄を削ぎ落とした世界なんて真っ平ごめんだ。
2012年3月5日月曜日
努力
報われることがはっきりしているのなら、すべきだろう。
報われることがないのがわかりきっているなら、しないにこしたことはない。
報われるかどうかわからないのなら、してみる価値はあるだろう。
報われるとか報われないとか、そんな次元を超えた努力なら、してみてもいいかもしれない。
でも、そんなに簡単に割り切れるものじゃない。
報われることがはっきりわかっていたって、努力できない他の理由があったりもする。
「努力しない」んじゃなくて、「努力できない」。
そこまでいかなくても、あえて「努力しない」という選択をした方がいいことだってある。
「努力できる」という事実だけで、十分幸せなんだと、今は思う。
報われることがないのがわかりきっているなら、しないにこしたことはない。
報われるかどうかわからないのなら、してみる価値はあるだろう。
報われるとか報われないとか、そんな次元を超えた努力なら、してみてもいいかもしれない。
でも、そんなに簡単に割り切れるものじゃない。
報われることがはっきりわかっていたって、努力できない他の理由があったりもする。
「努力しない」んじゃなくて、「努力できない」。
そこまでいかなくても、あえて「努力しない」という選択をした方がいいことだってある。
「努力できる」という事実だけで、十分幸せなんだと、今は思う。
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