2012年6月6日水曜日

New PC 2012

ちょっと前にパソコンの中身を入れ替えた。

PCケース:そのまま
 もう10年以上使ってる。
PC電源:そのまま
 600Wだったかな、650Wだったかな。確認するのがめんどくさい。
マザーボード:ASUS P8Z68-V PRO/GEN3
 あーっ、IDEコネクタがない。PS/2がない。FDDがない。
CPU:Intel CORE i7-2600K
 ひと世代前のSandy Bridgeです。今はIvy Bridgeですよね。GPUが付いているのがいい。
HDD:そのまま
 バルク品を二つ。
メモリ:DDR3-1333を8GB
 安いところに落ち着きました。
Blu-rayドライブ:BUFFALO BR3D-12FBS-BK
 本当は買う気なかったんだけど、今までのDVDがIDE接続だったので。
モニタ:そのまま
 EIZOのFlexScanなら替える必要ないよね。
キーボード:Logicool Wireless Keyboard
 今までのがPS/2で、つなげなかった。
マウス:そのまま
 よかったあ。USB接続のワイヤレスにしておいて。 
OS:Windows7 Professional 64bit
 6月2日以降に買っていたら、1200円でWindows 8 Proにアップグレードできるなんて知らなかった。運が悪い。最後までMacにするかWinにするかで悩んでた。結局Winを採ったから上記の構成にしたんだけど。

2012年5月25日金曜日

『Saori』木村 沙織

不覚にもファンになってしまった。もう10年も前から活躍している人なので、いまさら何を、って感じではあるんだけど。

いいな、と思っていろいろサーフィンしていたら、こんな本を出していることを知った。
それで本屋で覗いてみたら、あまりにもミーハーな感じだったのでその場では買わず。
でも気になって日を置いてまた本屋に行くも、やっぱり私の買う本じゃない、と思い、買わず。
でもでもやっぱりすごく気になるのでまた違う日に本屋に行って、結局購入した。

どう見ても私の本棚に置くと浮いてしまう本だけど、たまには壊れてみるのもいいのかな、と思う。
ついでながら、同じジャンルの人で『めぐみ』という本を書いている人も好きです。

2012年5月13日日曜日

2012年4月20日金曜日

初めて見ました!

「初めて見ました!」

こう話しかけられたのは2度目である。よほど珍しい絵柄なのだろう。オニオオハシが右側に描かれていて、バックにはコーヒーベルトの地図やコーヒーチェリーの説明図などがデザインされている。これを購入したのがどこだったのか、もう覚えていない。金沢か沖縄か、たぶん旅先だったような気がする。裏面には「2003」と書かれているから、もう10年近くも経つのだろう。それ以来いつも財布に入れて持ち歩いている。

「質感も独特でいいです!」

それは単に表面を覆うビニールが剥がれたからでは?
スタバの店員と店先で。

2012年4月3日火曜日

「子ども」という表記

いつの頃からか覚えていないが、子供のことを「子ども」と書く例をよく見かけるようになった。私が小さいときは「子供」と習ったので、そう昔のことではないと思う。

子供は親の付属物(供え物)ではない。「子供」という表記は差別用語だ。だから「子ども」と書くべきだ。

こんな言い分らしい。みんなが「子ども」と書くから、何となく自分もそう書いている、という無邪気な人は別にして。

少なくとも五つの点でおかしな話だと思う。
まず、「供」は「ども」に当て字をしただけの話で、供え物の意味はない。子を複数にしただけだ。「共」も同じですね。
二つ目。供え物ということは差別表現だろうか。勝手に差別表現だと言っているだけではないだろうか。
三つ目。差別表現は使ってはいけない、という意味がわからない。使わなければ差別がなくなるというのだろうか。どんな言葉であろうと、言葉狩りをすることには賛成できない。
四つ目。そもそもある言葉が差別表現だと認定できるのかどうか。差別は文脈で決まるのではないか。区別を差別と言い換えると、どんな言葉も差別表現にでっち上げることができないか。
五つ目。熟語をひらがなと漢字の交ぜ書きにするのは美しくない。はじめて「ら致」という言葉を新聞で見たとき、意味がわからなかった。

だから私は「こども」のことを「子供」と書く。「供」って小学校で習う漢字だよ。「子ども」と書くのは勝手だけれど、それを押しつけないで欲しい。思想統制を受けている戦中みたいで気持ちが悪い。

2012年3月22日木曜日

無駄のない世界

世の中が無駄探しに躍起になっている。
血眼開いて無駄を削減しようとしている。
この世界から無駄をなくそうとしている。

でも、
無駄は必要だと思う。
必要悪なんじゃなくて、
プラスの意味で本当に必要だと思う。

無駄は社会の潤滑油。
無駄から生まれる創造。

無駄を削ぎ落とした世界なんて真っ平ごめんだ。

2012年3月5日月曜日

努力

報われることがはっきりしているのなら、すべきだろう。
報われることがないのがわかりきっているなら、しないにこしたことはない。
報われるかどうかわからないのなら、してみる価値はあるだろう。
報われるとか報われないとか、そんな次元を超えた努力なら、してみてもいいかもしれない。

でも、そんなに簡単に割り切れるものじゃない。
報われることがはっきりわかっていたって、努力できない他の理由があったりもする。

「努力しない」んじゃなくて、「努力できない」。

そこまでいかなくても、あえて「努力しない」という選択をした方がいいことだってある。

「努力できる」という事実だけで、十分幸せなんだと、今は思う。