2012年4月3日火曜日

「子ども」という表記

いつの頃からか覚えていないが、子供のことを「子ども」と書く例をよく見かけるようになった。私が小さいときは「子供」と習ったので、そう昔のことではないと思う。

子供は親の付属物(供え物)ではない。「子供」という表記は差別用語だ。だから「子ども」と書くべきだ。

こんな言い分らしい。みんなが「子ども」と書くから、何となく自分もそう書いている、という無邪気な人は別にして。

少なくとも五つの点でおかしな話だと思う。
まず、「供」は「ども」に当て字をしただけの話で、供え物の意味はない。子を複数にしただけだ。「共」も同じですね。
二つ目。供え物ということは差別表現だろうか。勝手に差別表現だと言っているだけではないだろうか。
三つ目。差別表現は使ってはいけない、という意味がわからない。使わなければ差別がなくなるというのだろうか。どんな言葉であろうと、言葉狩りをすることには賛成できない。
四つ目。そもそもある言葉が差別表現だと認定できるのかどうか。差別は文脈で決まるのではないか。区別を差別と言い換えると、どんな言葉も差別表現にでっち上げることができないか。
五つ目。熟語をひらがなと漢字の交ぜ書きにするのは美しくない。はじめて「ら致」という言葉を新聞で見たとき、意味がわからなかった。

だから私は「こども」のことを「子供」と書く。「供」って小学校で習う漢字だよ。「子ども」と書くのは勝手だけれど、それを押しつけないで欲しい。思想統制を受けている戦中みたいで気持ちが悪い。

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